南国の隅っこ(旧)

元はてなダイアリーだった記事です。引っ越したのでデザインとか無視ですが、読めるだけでも……。

人間は動物か?

 気がついたらこんな時間(夜11時半)。今日も平和な?一日で、ネタがないわけでもないんだけど、マンネリだしねー。そこで、久し振りに雑談など。


 ちょっと前にツイッターで書いた話だけど、隣のおじさん(隣の家は貸し出しててご本人は別の町に住んでるんだが、今は借家人が出ていったあとの修繕と次の借家人探しでしょっちゅう来ている)とばったり遭遇して立ち話になったときのこと。
 おじさんが、「うちの新しい犬、見た?」と言う。前にチワワを飼ってるのを見せてもらったけど、ちょっと前から二匹になってるなと思ってた。「あれ、マスティフなんだよねー。もう凶暴で困ってるんだ、ほら」と腕の噛まれた傷を見せてくれる。「もう手におえないから口輪はめようかと思って」。でも見たところチワワと同じくらいの大きさだったけど……と不思議に思って、その犬、今何歳なんですかと訊けば、「三ヶ月」と言う。さ、三ヶ月の仔犬に口輪ですか……。その前にやることいろいろあるでしょうが?
 それ、攻撃で噛んでるんじゃなくてじゃれてるんですよね? ってところは確認、おじさんもじゃれていると認める。んじゃ、しつければ噛まなくなるし、今は仔犬だから噛みたい時期でもあるし、治りますよと力説。そしたらおじさん、「じゃあ訓練してくれる人探すわー。わしには無理」と。はあ、そうですね、そのほうがいいかも。いっそその犬、ちゃんと扱える人に譲ったほうがいいかも。
 と思ったけどまあそこまでは言わなかったけど。


 毎度のことだけど、犬の飼い方にもいろいろいろいろあるもんだなあとびっくりする。イタズラするから、つないだままにしようとか口輪はめようとか、そんなして仔犬時代を過ごした犬がどんなストレスにさらされるか、どんな性格になるか、考えるだに恐ろしい、と私なんかは思っちゃうんだけど。


 そんなことを考えてて思い出した、ドイツに住んでたころ一時期仲良くしていた日本人女性との対話。
 私が当時、4年ぶりくらいで日本に一時帰国したとき。当時の実家ではかなり人見知りする猫を一匹飼っていた。私がドイツに行って割とすぐに拾われてきたらしいので、私はそのときが初対面。で、当時大学生だった弟も、普段はほとんど家に寄りつかないとかだったけど、久し振りに姉が帰国すると言うので、さすがにその期間はまあまあ家にいた。で、いつもは両親と猫だけだった家に、私と弟もいることになって、母親いわく「この家の人口が急に倍になったから、○○(猫)が無口になったわー」と。まあびっくりもしていただろうし(弟のことは、普段あまりいないとしても家族と認識してたし、私にもまあ割とすぐに慣れてくれたけど)、なんかわいわいと賑やかだったからねえ。
 という話を、ドイツに戻ったときその日本人女性にしたら、「ま〜、亀さん(仮名)のお母さまってユニークなかたねえ、猫が無口になるなんて」とコロコロお笑いになる。え? 猫、無口になるでしょ? 普段からニャアニャアおしゃべりな猫ならなおのこと?
 でもこのときは、あーこの人、猫飼ったことないのかな、と思ったわけです。まあそれなら無理もないか、と思いつつ、その旨探りを入れてみたら、「え? 日本の実家では私が生まれてから日本を出るまで猫が途切れたことないくらい何匹も飼ってました」と言うので、私の頭、大混乱。
 このころはまだ、そういう飼い方の人もいるとか思いつけないくらい若かったw でも少し話を聞いてみて、まあそうか、飼い方が違うんだなあ、と納得はしたんですがね。ちょっと昔の日本でよくあったスタイルだろうし。猫は猫、餌やっておけばそれでよし、という感じの? まあこれが、飼ってると言っても動物への意識はさまざま、ってことをはっきりと認識した最初の体験だったかも。


 この女性とはもうひとつ印象に残ってる会話が。
 ドイツの寒さに慣れて、というかもともと私は寒さに強いほうだったので、ドイツの気候に順応するのに苦労はなかったんだが、ある年の夏はけっこう暑かった。当時にしては。で、彼女といつも学食で一緒にご飯を食べてたんだけど、「亀さん(仮名)、今日はどうしたの」と言われるくらい食べてなくて(当時の私は大食漢)。
 いやあ、あんまり暑いんで食欲なくって、と答えたら、またコロコロとお笑いになって(手を口元に当てて笑うその仕草に育ちの良さが表われる良家の子女でした)、「やだ〜亀さんたら、暑いから食欲がないなんて〜、そんな動物みたいな〜」と。
 え、私、動物ですけど? Tさん(彼女)、違うんですか? と愕然。向こうも愕然。なんか、両方で、シーン……。
 彼女は当時カトリック神学を勉強していたので、あーそうか、神学的には人間は人間で、動物じゃないんだなー、ってのは何となく納得はしましたけどね。でもさー、食べて排泄して、とかってのは人間も動物も一緒じゃね? と生物学やってた私は思いますけどね。


 キリスト教、特にカトリックとの、動物に対する見解の相違はすでに中学くらいのころにさんざんぶつかって悩んでいたので、このころには、あー私はカトリックとは一生相容れないなー、ってのはもうわかってた。だからこのときも、そうか、とは思ったものの、さすがにびっくりしたので、ものすごく印象に残ってます。


 ところで、今日は『犬』というアンソロジーを読んでた。

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 ほぼ読了してるんだけど、川端康成志賀直哉長谷川如是閑あたりの犬に対する見解には、愕然。まあ時代がそういう流れだったんだろうとは思うけど、愛犬家なら純血種を飼うべし、雑種は駄犬で、そんなものを飼っていると子供までたちが悪くなる、云々云々。いやはやもう、すごい。志賀直哉なんかはそれでも雑種を貰い受けて飼いはじめたらけっこうかわいくて、みたいなことを書いているかと思えば、遠足に行こうとする直哉たちに、怯えつつもついてくる小犬に苛立って、無理やり追いつめて捕まえて首に縄をつけ、暴れるので宙づりにしておとなしくさせたとか、もう虐待の域ですやん、それ! まあ本人にもその自覚はあるみたいで、ちょっと(でもちょっとだけ)可哀そうに思ったり、イジメたと他人に向けて認める発言したりしてはいるけどさあ。
 同じ、クラフト・エヴィング商會のアンソロジー『猫』も読んだけど、猫は犬ほどに飼われ方が変化してないのかも(猫自身がそういうたちだろうし)、でも犬はこの時代から比べたら劇的に社会的地位が変化してる(向上してるとはあえて言わない)んだろうな……。


 そう言えば、これもツイッターで流した話題だけど。
 ニャンタのお母さん猫がまた仔猫産みました〜、と掃除のおばさんから話を聞いてた。二匹産んで(生き延びて?)うち一匹はニャンタみたいに白地に薄茶のしましま模様で、尻尾のところが特にくっきりで〜、とか言ってた翌々日、「あの仔猫、死んだそうです。殺鼠剤間違って食べて」だそうな。は〜、よく死ぬねえ。
 そんな仔猫の届くところに殺鼠剤とか置くか? と私なら思うけど、それだけポコポコ産ませて何の対策もしない人たちにしてみたら、運があれば生き延びるでしょ、って感じなんだろうな。そうでなければ死んでしまえ? ま、ある意味、自然にかなったやり方ではあります。