南国の隅っこ(旧)

元はてなダイアリーだった記事です。引っ越したのでデザインとか無視ですが、読めるだけでも……。

『カタツムリが食べる音』

 今日は朝7時から雨が降りだし、ざんざんと降り続け、おかげで本がいっぱい読めた。友人と会う約束も延期になったし。まあ家のなかにこもってるのに、なぜか頭上からときおりピンポイントで降り注ぐ雨は、イグコのくしゃみw イグコが移動してもぜったい頭にかかってくるから、やっぱりこれは狙い定めてるよね……。


 前に、ツムリンコが夜中にひっそりと食事をする音がたまりません、とか書いて、カタツムリの本を探していたら、ドンピシャのタイトルのこの本を見つけたわけです。


カタツムリが食べる音

カタツムリが食べる音

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 正体不明の奇病に冒されて寝たきりになってしまったアメリカ人女性が、友人が持ち込んだ森のカタツムリとともに過ごす話。最初は、女性は、カタツムリなんかどうすりゃいいのよって感じで、スミレの鉢植えをねぐらにしたカタツムリを眺めてるんだけど、朝起きると、手紙の封筒やら瓶のラベルやらに穴が開いているとw
 そんならと見舞いの花から花びらをやると食べる食べる。そしてその音を夜中にひとりでひっそり聞いていると、体の動かない自分もこのカタツムリも生きてるんだなあと実感するようになるという。ああ、なんかその気持ちわかるかも。私は健康で体が普通に動くのに、こういうこと言うのはおこがましいかもだけど。でも、動物が無心に食べてるところを見ると、生きてるってことをしみじみと感じるよね。これまで警戒して、あるいは具合が悪くて食べてくれなかった動物が食べてくれたら、涙が出るほどうれしくて幸せになるし。


 で、この人は動けない長い長い時間、カタツムリを観察することで過ごした。一年間。その観察に基づくカタツムリの行動と、合間に(もしくは病後に)読んだ本からの数々のエピソード。各章の冒頭のエピグラフに大量の(22章のうち9章)一茶と蕪村の俳句が出ていてびっくり。この人たち、こんなにカタツムリを愛してたのねー。それをアメリカ人から教わるとはw

 カタツムリは新鮮なサラダは食べないとか、ちょっと事実と反するよなと(そういうカタツムリもいるんだろうけど一般化しすぎ?)思うところもあったけど、一匹で飼われていても(捕まる前に交尾してたのかな)卵を産む話、しかも最初は環境が乾燥していたせいか、数日ごとに卵のところにやってきてはひとつずつ口に含んで粘液を補給し、乾かないようにしていたなんて話はもうびっくり。その後、環境が改善されると、巣ごもりして大量の卵を産み、最終的に100匹を超える子供を孵したとか。
 その子供たちの話で、小さい一匹がお兄ちゃんの背中に乗って、乗られたほうは嫌がって、子供の喧嘩のようだったと。作者が小さいほうを取って貝の殻(水入れ代わりに使っていた)に載せると満足そうだった、カルシウム不足だったのかも、って話には、やっぱうちのツムリンコの背中に乗ってたやつもそれが目的だったかー、と納得したり。
 一番驚いたのは、誰の書いた本だったか忘れたけど、丈夫そうなカタツムリとちょっと弱々しいカタツムリを食べ物の乏しい庭に放したら、丈夫なほうはさっさと隣の食べ物豊富な庭へと行ってしまったと。でもそのあとで戻ってきて、弱いカタツムリを伴って一緒に隣へと去っていった、という話。さすがにそれは眉唾〜と言われても仕方のないくらいできすぎた話。でも、弱ってるカタツムリは粘液をあまり出せないので、他のカタツムリの出した粘液のあとをついて歩くと楽なんだというのは、理に適ってるよな。


 そういったカタツムリに関する情報は、この人は『軟体動物』という体系的な専門書や、博物学者の本などから得ているらしい。やっぱりそういう方面になるか。ただし、作者も書いてるけど、そういった本ですごく詳しく調べられている側面もあるが(私も発生学などであの渦巻ができる仕組みとかかなりきっちり習ったな)、実際の生態や行動についてはやはりまだわからないことだらけらしい。
 カタツムリと一言で言っても種類は何百何千とあるわけだし、そのすべてを調べるなんてことは無理。でも身近な種類、この作者が偶然友人によってもたらされた一匹さえも、その種類を同定するのはとても難しかったとのこと。まあこの人は生物学にはほとんど関わってこなかった人だからしょうがないとしても、専門家でさえ(特に生きていて殻を内部まで見たりできない場合は)簡単に同定できなかったというから、まあ私もツムリンコの同定は諦めて正解?


 カタツムリに関する話以外にも、こちらの本では(こないだの本と違って)カタツムリと作者の関係も興味深かった。むしろ、その辺もっと詳しく書いてほしいなと物足りなく感じたほど。

以下ネタバレです

 病気で寝たきりのときにカタツムリに感じたこと、病気がよくなってきてカタツムリを手放す決心をしたときの心境。特に後者は、私にとってはまずない選択肢だったからな。日常生活が戻ってくるとカタツムリに使える時間が減った、というのはわからないでもないけど、そしてこの子の場合、もともと暮らしていたところに戻すことが可能だったからというのも大きいかもだけど、でもよく決心したなー。私ならもうめちゃくちゃ情が移っちゃって手放せなかったんじゃないかと思う。
 その辺が、もともと動物にあまり思い入れのない人の潔さというか、でも野生動物に対してはそれが正しい姿勢なのかもな、とも納得・反省しました。だからってセンコやツムリンコ、イグリンコを手放そうとは思わないけど(それぞれ、足が悪いから、元いたところがわからないから、捕まって食べられそうだから、などの理由はあるとしても)。
 そして、それだけ淡白でありながら、一匹のカタツムリを通して人類とカタツムリの遠い未来まで見通しているこの人はすごいとも思った。ラストの言葉には、感動しました。

出版社と翻訳者に物申す

 この本、訳して出版してくれたことには大いに感謝。表紙が穴ぼこだらけなのもナイスアイディア、でもねえ、「触角」と「触覚」をごっちゃにして間違いだらけなのはいただけない。第3部の表題まで間違えてるんだもん。病気の「直す」「直る」はまだしも一貫してこうなってたから、そういう表記の主義なのかなと思えば納得できるけど、触角と触覚はまったくの別ものでしょう?
 他にも、どこだったかよけいなカッコ閉じるが挿入されてたり、まあ誤字誤植のあるのはこの本ばかりではないけど、内容と装丁がいいだけに、残念。いっそ出版社にメール書いたろか、とまで思ったくらいw でも改訂版が出てもたぶん買わないよな……。
 この訳者さん、自分もカタツムリ飼い始めちゃったとかでw、その写真をラストに載せるくらいのめりこんじゃってるところは、もうお友達になりたい勢いなので、やっぱりぜひぜひ改訂版は出していただきたいかも。